伊豆国の成り立ちとその地域と範囲、文献記録

伊豆国に関係する文献記録を古い順に順次足して行きます。

「先代旧事本紀」「国造本紀」

伊豆国造(いずのくにのみやつこ)

神功皇后の御世に物部連の先祖の天ぬ桙命(あめのみほこのみこと)の八世の孫の若建命(わかたけのみこと)を国造に定められた。 難波の帝[孝徳天皇]の御世に駿河国に属し、飛鳥の帝の御世に元の様に割いて置く。

 

日本書記

應~天皇五年甲午(西暦274年)

冬十月 科伊豆國 令造船 長十丈 船既成之 試浮于海 便輕泛疾行如馳 故名其船曰枯野.
【由船輕疾名枯野 是義違焉 若謂輕野 後人訛歟】

伊豆國風土記逸文

伊豆國 奧野神獵 [獵鞍]  □文字解からず。

伊豆國風土記曰 割駿河國伊豆乃崎 號-伊豆國 日金嶽 祭瓊瓊杵尊荒神魂 奧野神獵 年年國別役也 構八牧別所幣坐 出納狩具行裝之次第 有圖記 推古天皇御宇 伊豆甲斐兩國之間 聖コ太子御領多 自此獵鞍停止 八牧別所,往古 獵鞍之司 司祭山神 號-幣坐神社 其舊法斷久也 夏野獵鞍者 伊藤奧野 □年撰鹿柵射手行云云.
加藤謙齋『鎌倉實記』第四 享保版本一三丁裏「ョ朝八牧代兼隆を討事」條

伊豆獵鞍 (鎌倉實記 第三:參考

准后親房の記に曰はく(中略)
伊豆の風土記に曰はく、駿河の國の伊豆の埼を割きて伊豆の國と號く。日金の嶽に瓊々杵尊(ににぎのみこと)の荒~魂を祭る。興野の~獵(みかり)は、年々國別の役(えだち)なり。八牧の幣坐(みてぐら)を構ふ。狩具の行裝を出し納(い)るる次第は圖記にあり。推古天皇の御宇、伊豆・甲斐両國の間に聖コ太子の御領多かりき。此より獵鞍(かりくら)を停止(とど)めき。八牧の所別に、往古、獵鞍の司々、山の~を祭りて、幣坐の~坐と號く。其の舊き法は断えて久し。夏野の獵鞍は、伊藤・興野に、年毎に鹿柵(かせ)の射手を撰びて行ふ。云々。
(今井似閑採択)

日金嶽

日金嶽者 往昔伊豆別王子所以勸請瓊瓊牧尊 見於伊豆國風土記 伊豆第一高山也.
加藤謙齋『鎌倉實記』第四 享保版本一零丁裏~一一丁裏「ョ朝八牧代兼隆を討事」條

奧野 伊豆船 [獵鞍]

又曰 應神天皇五年甲午冬十月 課伊豆國造船 長十丈船成泛海 而輕如葉馳 傳云 此舟木者 日金山麓奧野之楠也 是本朝造大船始也.
加藤謙齋『鎌倉實記』第四 享保版本一三丁裏「ョ朝八牧代兼隆を討事」條

造船 (鎌倉實記 第三:參考

准后親房の記に曰はく
應~天皇五年甲午、冬十月、伊豆の國に課せて船を造らしめき。長さ十丈、船成りて海に泛(うか)べしに、輕きこと葉の如くにして馳せき。傅へて云はく、此の舟木は日金山の麓なる奧野の楠なりといふ。是、本朝に大船を造る始めなり。 (今井似閑採択)

伊豆温泉

准后親房記 引伊豆國風土記曰 稽温泉 玄古 天孫未降也 大己貴尊與少彦名 我秋津洲,憫民夭折 始製禁藥湯泉之術 伊津神湯 又其數而 箱根之元湯是也 走湯者不然 人王四十四代養老年中開基 非尋常出湯 一晝夕二度 山岸窟中 火焔隆發 而出温泉 甚燐烈 鈍沸湯 以樋盛湯船 浸身者諸病悉治.
加藤謙齋『鎌倉實記』第三 享保版本二一丁表「ョ朝蛭兒嶋御館事」中「筥根走湯」條

温泉 (鎌倉實記 第三:參考

准后親房の記に伊豆の國の風土記を引きて曰はく
温泉を稽(かむが)ふるに、玄古(むかし)、天孫未だ降りまさず、大己貴と少彦名と、わが秋津洲に民の夭折(あからさまにし)ぬることを憫(あはれ)み、始めて禁藥(くすり)と湯泉(ゆあみ)の術(みち)を制(さだ)めたまひき。伊津の~の湯も又其の數にして、箱根の元湯是なり。走湯は然らず、人皇四十四代養老年中に開基(ひら)きき。尋常(よのつね)の出湯にあらず、一晝夜(ひとひ)に二度(ふたたび)、山岸の窟(いはや)の中に火焔(ほのほ)隆りに發(おこ)りて温泉を出し、甚(いた)く燐烈(おにびひか)る。沸湯(わきゆ)を鈍(ぬる)くし、樋を以ちて湯船に盛る。身を浸せば諸の病、悉く治ゆ。 (今井似閑採択)