正史に唯一残された伊豆國内での風聞大異変!?
〔百練抄〕16 本院 宝治元年(1247年)正月 十二日 丙寅 今夕雪降
此間風聞云、伊豆國長十二町・弘八町、自十餘町行去、其跡如湖水云々、
海岸部陥没・崩落前の想像地形と現在の地形図を合成しています。
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不思議な石組み | 素焼きの壷 | 大灯台と思われる石積み |
素焼きの壷破片 | 三角方位版(三角先端部が真北) | あつうみヶ崎祭祀場 |
神社遥拝所 乱張り石畳 | 参考に引き揚げた遺物 | あつうみヶ崎図(着色) |
もっと海底遺跡を知りた〜い(*^_^*) まずは、ここから見て下さい!! |
熱海で発見された海底の遺物・遺構群は文献上に於いての記録が殆ど有りません?
発見された遺物では素焼きの壷、素焼きの壷破片、鳥居の一部、灯篭の一部と思われる破片、宝塔の一部と思われる岩塊ほか多くの加工石破片、和船の碇石各種(形は小さめ)だが、その本数は100本以上。遺構では大桟橋(約60m幅4m)(水深20m)、祭祀遺構(神社・磐座・火山の噴火口)と階段、祠跡数種と石畳・石参道、石造り(方位を示す)モニュメント(太陽と月)(水深27m)、磐座(南北方位を示す)と思われる奇岩(水深30m)、護岸の石垣と湊(水深34〜40m)、湊の波返し(水深40m)、小灯台と大灯台(熱海の遺構では最大で有り、水深は55〜45m)、修理用半ドック跡(水深20m)、石積み遺構各種と有りますが、特に東西南北を現す三角基盤(岩に掘り込み)(水深38m)、方位を現す人工的な基点の多さに目を見張る。
史学文献上での記録が無いが為、有り得ない不実な情報として埋もれ様としています。
今まで発見された遺物や海底に眠る遺構の形態から研究者を招いて行われ、発表される正式な情報サイトとして→→→→→「熱海の海底遺跡保存会」をご覧下さい!
熱海の海底遺跡/熱海沖海底遺跡 | 調査中 |
伊豆山の海底遺跡/伊豆山沖海底遺跡 | 調査中 |
網代の海底遺跡/網代沖海底遺跡 | 一部調査 |
壮大な歴史と海洋学術ロマンへの始まりです!!
東海大学海洋学部 海洋地質学教授、東海大学教育センター・壷研究者、水中考古学で著名な学者の方が続々参加しています。興味有る一般の方も参加出来ます。
東海大学海洋学部 根元 謙次教授の下、海底調査を行っています。
熱海の海底遺跡保存会 事務局
413-0002 静岡県熱海市伊豆山387-2プロテックスジャパン内
0557-80-3262 fax0557-80-3262
mail: pro-tecs@izu.biz 担当 國次 秀紀(プロフィール)
◎ウイルスメールが多い為、恐れいいりますがメールアドレス部分をコピーの上、お送り下さい。
熱海の海底遺跡情報ページへ 進みます!
そんな物が有る訳無いと思う方で潜水出来る方はお問い合わせを! 潜水出来ない方は指導も行っておりますのでご相談下さい。潜水の技能・能力に応じて、現地をご案内致します。ただし、実費・諸経費はお支払い頂きます。
海底遺跡の別項として、異聞・愚説【伊豆国奇譚】を発表しています。こちらの方が面白いかも!
伊豆国奇譚
とは?
異説、異論、異聞、奇聞、偶想、愚説、妄想論
によって古来の伊豆国と阿多美(熱海)と伊豆山に触れて行きます!
厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。
更に熱海の海底遺跡発見者である國次 秀紀(くにつぐ ひでのり/クニツグ ヒデノリ)が、独自・独創的な発想によって阿多美(熱海)の有様を発表して行きます。
下記の図はカルデラ湾と想定し、海底の遺跡位置を考慮した場合の湊跡です。
現在の港の位置とは大幅に違い、鎌倉中期以前では海岸線に多くの土地がありました。
網代(旧足代)の立岩の湊、多賀は赤根の湊、阿多美の大湊、阿岐戸の湊、伊豆山の小波戸湊、他の湊が配置されていました。大型・中型船はカルデラ湾の中で移動することによって風除けと波除に絶大な恩恵を受ける港湾都市を形成していたと思われます。
特に、発見者國次が拘ったのは乙巳の変によって駿河国に統合された伊豆国と阿多美(熱海)の関係に着眼! そして、36年後に再び伊豆国 再建国と新国府の不自然さ?
確かに、乙巳の変以後の大化改新では租税徴収での律令制度改革があり、物糧納入から稲束納入制度へ変わり、この伊豆国は稲作の出来ない国でも有ったのですが、その根底にあった時代の歪みに気が付いたからにほかなりません。
この、伊豆国には格式有る正一位の神階神社は3つしか無く、1つは延喜式で公表される三島明神(大社)と2つ目と3つ目は伊豆御宮と言われる式外社の伊豆山神社(伊豆神社、走湯神社)しか有りません。
又、それぞれにお后神社を配しており、共にその神階は一品なのです。共に三宅島の伊豆地区に三島明神が、神着地区に走湯神社が配されて居り、意味深気です。
その中で、伊豆山神社は別名の伊豆神社、走湯神社と言う別名称を持ち、全国に現在153社配置されています。その範囲は青森県から、なんと福岡、宮崎に掛けてなのです。
伊豆山の山に式外社 正一位が2社、一品が1社と、異例と思う配置がなされているのですが、更に、正五位上六所王子の官位も受けているのです。一山の4社に爵・官位があるのです。
しかし、史実に有っても推定論にもなります為、お読み頂く方は注意深く読んで頂く様にお願いする次第です。
時代は紀元前後から鎌倉時代までの想定で説明して行きますが、仮想も多く入ります為、当然ながら現在の文献史学上の史実とは多々異なります事を注意して置きます。
最近注目しているのは神社跡横の石積モニュメントに埋め込まれ、表現された太陽と月ですが、正確に東西南北を現しており、伊豆山は走湯山の「走湯山縁起」の中で語られている日精(太陽)と月精(月)を指しているのではと思われます。
月を現す古代での国は壱岐と対馬であり、壱岐と対馬を合わせると壱岐+対馬→壱・対=いつ→伊豆と語彙変化します。更に、対馬と壱岐の頭で対岐(つき=月)とごろも合います。
月と云えば宇佐八幡宮や宗像神社も忘れてはなりません。
また、対馬には航行に不可欠な山立て山の伊豆山(いずさん、いづやま)と言う山と、対馬一宮である海神(わだつみ)神社の地名が、更に、壱岐には阿田彌(あたみ)神社が2ヶ所(旧来は3ヶ所)祀られており偶然とは言えません。
ここ熱海では対馬一宮の海神(わだつみ)神社のわだつみと云う言葉から和田と云う地名称として古くから利用されています。この項で出て来たあたみ(阿田彌、熱海、阿多美)とわだ(和田)と云う名称の姓名使用は、伊豆国の阿多美に於いて厳しい制約があり、3世代限りと定められていました。
{例:平氏(平 聖範)→熱海氏→和田氏(聖範の子時方)→伊豆北条氏(政子の実家)}
読み:聖範 きよのり としのり まさのり ただのり せいはん
聖範は鎌倉から伊豆の阿多美(熱海)郷へ移住し、阿多美四郎、阿多美禅師と称した。この阿多美には走湯権現(伊豆山神社)があり真言・天台2宗の神仏混淆の宗教拠点になっていた。聖範の子時方は阿多美郷の和田の里に住んで、和田四郎大夫と名乗った。この人が後に狩野川流域の北条の地に居住し、子の時家が始めて北条氏を称した。
他国使用では、伊東祐親の一族として伊東(工藤)祐長の時、頼朝より奥州安積(福島県郡山付近)を安堵され、当初では安積(あずみと呼ばず→あさか)氏と名乗る。後、伊東祐親が守護神としていた伊豆御社と阿多美を偲んで、熱海氏と名乗る。(阿多美氏では無い)
話は壱岐・対馬に戻して、亀甲卜占・甲骨卜占の関係に於いても壱岐・対馬・伊豆は関係深く、これに房総の安房や鹿島を含めると更に判り易くなります。今、ようやく不思議な国「伊豆国」の謎が解けそうです。
下の図は対馬一宮海神(旧わだつみ)神社・斎の山の伊豆山から1本のライン34度27分を引くと、→淡路島の伊弉諾神社→伊勢神宮→利島と新島の間の鵜度根島へと向かう対馬→伊豆国ラインとなる。
更に、久住山→剣山→高野山→伊勢神宮→初木神社(熱海・伊豆山エリア)→鋸山.
壱岐の阿多彌神社→淡路島伊弉諾神社→初木神社(熱海・伊豆山エリア)
弘法大師空海は高野山の位置・場所の選定に不可欠なこの霊・信仰ラインの事を知っていた様だ!
要注意 要注意 要注意
注意書きを読み、それでも見たい、読みたい方だけ先へお進み下さい。
異聞・愚説伊豆国奇譚の中の話として説明します(^^ゞ
「皇極天皇4年(645年)乙巳の変・大化改新」後、伊豆国が消滅?
36年後、伊豆国復活! 旧国府阿多美→仮国府田京→新国府三島へ
異説・愚説「伊豆国の国府 阿多美」
厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。
「熱海の海底遺跡保存会」の定例講演会は暫くお休みにします。
今までの定例講演会内容.
1.伊豆山(走湯山)を支えた巨大な湊跡1 2.伊豆山(走湯山)を支えた巨大な湊跡2 3.阿多美(阿田美)の湊は太平洋航路の要衝だった! 4.伊豆山の坂東・坂西、吉士族と和田の関連 5.はしりゆ(走湯)と伊豆山に祀る神仏. 6.阿多美と伊豆山と伊豆国の関係とは! 7.正一位勲二等伊豆国 伊豆御宮伊豆大権現 8.伊豆國の消滅と復活の真相とは! 9.伊豆・走湯に見る二神信仰と三神信仰.
【点々と続く諸島群】 富士山を見て島伝いに来れば熱海へと入って来る。理想的な湊だ!
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【熱海湾の海底図】 【調査の為のGPS軌跡とポイント】 調査潜水担当者 國次 秀紀 |