「古代であそぼ」S_TANさんに編集して頂きました。
 < 1枚の絵 > その3
● あつうみヶ崎・カラー版
英泉画
くにつぐが潜水検証に基づきコメントと訂正をしています。

この絵のままに、海底に沈んでいます。
この絵には意味深い部分があります。それは・・・あつうみヶ埼(崎)、あつうみの里人の行方なのです。あつうみの里は正式地名が阿多美(阿多見)と言い、和歌山の阿多和も同根(地名で同族・同根)としていました。鎌倉中期に大噴火によりあつうみの里は海底に没しますが、生き残った里人達は今の網代へと移住します。網代の里人達も同族同根でしたので、快く移住が出来ました。  網代の元の旧地名・正式な名称は足代と言い、昔は足代をあて、あたと呼んでいました。  阿多美から移り住む時、わだ神社を足代へと祀り、代々の阿多・足代の守り神としました。  現代、網代にある和田木神社がこれに当たり、本来の神社名はわだつみ社(神社)=海神 社(神社)でその由来は対馬一宮にあります。

また、本来の足代は、遠洋に遠出する船乗りたちの里で、網漁師たちでは無かったのです。航海術に長けた海人たちの里だったのです。


1枚の絵・その1、 その2
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熱海の海底遺跡保存会