伊豆国奇譚と熱海の海底遺跡

伊豆の国奇譚バーナー

熱海湾を中心とした歴史によって見直す熱海の海底遺跡調査のページです!

ただし、資料や文献が殆ど無く、海底に構築された遺構の設計・技術力の高さによってこのページを作る事としたが、異説・異論の解釈、異聞や奇聞、偶想・愚説・妄想論的な解釈や説明を加えないと海底にある遺構の説明がつかないのである(-_-;)
つまり、神功・応神紀(記)に出て来る伊豆国と乙巳の変(645年)後による伊豆国改易・解体されて駿河国へと併合。更に、36年後(681年)に再び伊豆国が2郡制(賀茂郡、仲[那賀]郡)での建国、後に3郡(賀茂郡、仲[那賀]郡、田方[田縣]郡)へと分割される。

「先代旧事本紀」「国造本紀」
伊豆国造(いずのくにのみやつこ)
神功皇后の御世に物部連の先祖の天ぬ桙命(あめのみほこのみこと)の八世の孫の若建命(わかたけのみこと)を国造に定められた。難波の帝[孝徳天皇]の御世に駿河国に属し、飛鳥の帝[天武天皇]の御世に元の様に割いて置く。
飛鳥の帝(天武天皇)の御世に元の様に割いて置くとは・・・伊豆国改易・解体、駿河国併合前は賀茂氏、那賀氏、そして阿氏・田氏・吾田(あた/あがた)氏(阿田/吾田/縣=阿田族)の混成部族統治の土地へと戻したとしている。<賀茂氏も古くを調べて行くと吾田隼人とつながりを持つ><那賀氏は吾田隼人系の後裔と云われる>
ここに出て来る阿田/阿多族とは海人族の混成部族で九州は宮崎の吾田、鹿児島の阿田、福岡の阿田を統治し作っていた混成部族で、その混成部族には隼人(隅曽於)、久米、穂積、安積、壱岐と五島列島及び伊韓島を含めた伊族、対馬の津(対馬)族、壱岐・対馬混成は(伊都)一族、阿蘇・阿波等の多族、他もろもろの海人族が九州を取り囲む様に手を組んでいたと思われる。つまり、阿田(阿多/吾田)族と称して大々的な海上武力を有していたと思われ、その海上武力を持って東遷して行ったと思われる痕跡が全国各地に見られる。阿田族東遷の跡(各地に広がる阿田の地名)

結論として、伊豆国は阿田/阿多/吾田の混成部族の領地だった事が解る。そして、古来よりの阿田美/阿多美(現在地名称 熱海)は伊豆国の国府として存在していたと思われるが、645年の伊豆国改易によって国府も返上となってしまう。尚、阿多美の地に"あつうみ"の郷の名前が古文書等で出て来るが、安積族尾張氏の地に"あつた""あつみ"と云う同じ文字を見つける事が出来、同根の者達が住んでいたことが分かる。
さて、もう一つ言いたい事は旧伊豆国に於いての守護神社は伊豆御社(伊豆権現・走湯権現)であったのは間違い無いのであるが、中央からの神隠し・神の内封が空海(弘法大師)によって行われた事が伊豆山略縁起に記載されていて、これ以後本来の神が曖昧となってしまうのである。しかし、地方にある伊豆神社や走湯神社(現在分かっている153社の内)の一部では頑なに本来の神を祀り続けていたのだ。
  
-下記 ご覧下さい- 
 
     伊豆山神社末社153社(現在)

   古代には伊豆・箱根・富士山の火山(神火)信仰圏があった!?
     千時千一夜 風琳堂主人 東北伝説 遠野物語の里から
      空海と伊豆山祭祀【上】空海と伊豆山祭祀【中】空海と伊豆山祭祀【下】
  
最近の古代年表誤差修正発表例1・・・驚きです(;一_一)
    
最近の古代年表誤差修正発表例2
◎古代年表の誤差修正によって応神天皇(在位20〜40年)5年に伊豆国に船を作らしむとあるのですが、その年代は362年(日本書紀には270年、その差約92年)の頃となります。当初では謎とされていた4世紀〜5世紀初めの出来事となり、謎の4世紀では無くなりました。また、次の仁徳天皇(在位24〜31年)が5世紀〜5世紀中期となります。大和政権が確立されるにつれて関東平野一帯、更に東北へと東征の嵐が吹き荒れてゆきます。
この阿多美・伊豆山〜箱根〜足柄は東夷の境で、東寄りを坂東の地として古来より恐れて来ました。

厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。

都度編集をして新しくする為に語彙変化や増・造語が有ります。文面にご注意下さい<m(__)m>

ご意見や質問はメールフォームにて受け付けております(*^。^*)

熱海湾から相模湾海底を見る

伊豆半島と相模湾の海底図 

熱海の東側にはカルデラ湾の凹地が存在!?
沈んだり、風蝕されるまでは外輪に囲まれた超自然港と思われる!
大島と伊豆半島の間の突起状な部分の大半が海底火山と見られる。

〔百練抄〕16 本院  宝治元年正月  十二日  丙寅  今夕雪降
此間風聞云、伊豆國長十二町・弘八町、自十餘町行去、其跡如湖水云々、

宝治元年 西暦1247年 この年、三浦氏一族讒言・陰謀によって滅ぶ。

長さ12町×109m=1308m 広さ(幅)8町×109m=872m (一町=六十間=109m)これだけの土地が滑り、移動して湖の様になる場所は熱海以外には考えられない!?

異説・愚説伊豆国奇譚

とは?

黒潮文化圏に在り、或いは黒潮ハイウェーと言われる流れの終着点に近く、日本の太平洋岸を北上するに当たり、最重要とされた伊豆と伊豆諸島には、古代より独特な外来文化や先進な船舶航法が有ったのでは無いかとされる!

その中で、伊豆半島の先端地域の下田から南伊豆、伊豆半島付け根の伊東から熱海、伊豆山から真鶴は最重要な港跡痕跡の残る地域と見て探り出すが、海上保安庁水路部作成の相模湾海底図には伊豆半島付け根の熱海湾がカルデラ外輪を持つ火山であり、古代ではカルデラ外輪で囲まれた湖の様な自然湾で有ったに違いない!?
と、言うのも現在の網代から初島にかけてノコギリ状の海底隆起(外輪部)が見られ、その平均的な水深は80〜100mで、再浅部は約40m程なのだ。

熱海の海底に眠る精巧な巨岩石積みかがり火大灯台、特殊な石組みで組まれた護岸石堤と湊跡、構造用加工石を一部使った半ドック様式の遺構等の土木建築技術・石加工技術は何を語るのか?

更に、石神信仰の痕跡か、モニメント的加工の石が破損し、散在している。

黒潮ハイウェー詳細図

熱海湾を望む

伊豆山岩戸山(松岳)の頂上から見た景色(想像図)カシミール3D使用
海側から見た伊豆山、久志良山、日金山、富士山、熱海も参考に見て下さい。

異説、異論、異聞、奇聞、偶想、愚説、妄想論

によって古来の伊豆国と阿多美(熱海)と伊豆山に触れて行きます!

厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。

熱海の海底遺跡発見者である國次秀紀(くにつぐひでのり/クニツグ ヒデノリ)が、独自・独創的な発想によって阿多美(熱海)の有様を発表して行きます。

特に、発見者國次が拘ったのは大化改新(乙巳の変)によって駿河国に統合された伊豆国と阿多美(熱海)の関係に着眼! 中央と伊豆国での賀茂・曽我氏の没落!

そして、36年後に再び伊豆国建国国府の不自然さ? 確かに、大化改新では租税徴収での律令制度改革があり、物糧納入から稲束納入制度へ変わり、この伊豆国は稲作の出来ない国でも有ったのですが、その根底にあった時代の歪みに気が付いたからにほかなりません。

この、伊豆国には格式有る正一位の神階神社は3つしか無く、延喜式で公表される三島明神(大社)伊豆御宮と言われる式外社の伊豆神社と走湯神社(併せて伊豆山或いは伊豆大神と云い伊豆山神社に正一位が2社)しか有りません。

又、それぞれに式外社のお后神社(きさき宮、当きさき宮)を配しており、共にその神階は一品なのです。当きさき宮の当てとは阿代=阿多美を指しています。

共に三宅島の伊豆地区に三島明神が、神着地区に走湯神社が配されて居り、意味深気ですが、本来の走り湯とは、熔岩・湯・瀧=水・湯・熔岩の激しくたぎる様を指しております。

その中で、伊豆山神社は別名の伊豆神社、走湯神社 、走り明神、走井天神(宮)、その他多数と言う別名称を持ち、全国に 末社・想定社153社(25.8.10現在)以上配置されています。

その範囲は青森県から、なんと福岡、宮崎に掛けてなのです。秋田の走り明神小野小町小野篁(たかむら)ゆかりのお社となっており、其の他の神社名も多くの謎に包まれますが、伊豆山神社関連の社なのです!?

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しかし、史実に有っても推定論にもなります為、お読み頂く方は注意深く読んで頂く様にお願いする次第です。

時代は紀元前後から鎌倉時代までの想定で説明して行きますが、仮想も多く入ります為、当然ながら現在の文献史学上の史実とは多々異なります事を注意して置きます

 要注意 要注意 要注意

異説・奇聞を書くに当たって古事記や日本書紀等による歴史背景も考察する。

弥生時代より古墳時代、更に奈良から平安初期に掛けての時代動向に着眼!

海底の緻密で精巧に作られた遺構から推察、想像・思考して見た時代の背景。

九州の宮崎吾田、鹿児島阿田、福岡阿多(田)と阿多美(熱海)の関係?
そして、全国の阿多/阿田/吾田を持つ地名の関係は? 例えば・・・
阿多古(あたこ)、愛宕(あたご)、安宅(あたく)、安達太良(あだたら)等!
阿多/阿田/吾田の文字を含む全国図
また、戦(いくさ)名残だろうか!? 出雲郷(いずものさと)→あたかえむら(阿多替え村)と読んでいる。 阿多=阿陀は同意.

壱岐、対馬、そして伊豆に於ける甲骨・亀甲卜占の記録と異聞!?
神代の神様を扱う者に神祇官(しんぎかん)という職があり、対馬より10名壱岐から5名伊豆から5名の合計20名が奈良の都で朝廷に出て国占いを行なっていましたが、伊豆の卜占神祇官の大半は三宅島を中心に伊豆諸島に配置されていた。

当然、初島にも居たが、その名も対岐(対木、津木)華香初木姫と言う特別な卜占巫女・比丘尼.

伊豆国伊豆御宮である走湯山と壱岐及び対馬の海人族関係?
通称阿多族とは隼人、久米、穂積、伊(一、壱)族、津(対)族、阿族(阿積、阿曾、阿房)、多族の混成部族なのだろうか?
古い部族達は体に部族を表す独特な刺青を入れていた。
阿多/阿田/吾田の文字を含む全国図

周辺の延喜式内社と式外社を基本に寺社関係及び地名から見直す!
伊豆国式内社 正一位は三島、伊豆国式外社 正一位は伊豆山と走湯山。
一品は式外社 きさき宮(下田白浜)、式外社 当きさき宮(伊豆山)
当とは阿多、阿陀、阿邸、阿提、阿代をあて/あたと読み当を当てたと見る.

個人の異説や奇聞として謎解きをし、想像・想定であれ見てみたい。
異説、異論、異聞、奇聞、愚説と思いつつも述べて行きたい。

熱海の海底遺跡も、その起源を伺い知る資料を見つけました。

それは委奴國志(野間口道義著)です。現在では、書籍掲載及び書籍販売はしていないようで、インターネットでの掲載もしておりません。しかし、興味ある著書でした。

九州西北岸に於ける多島海文化圏の中に有り、伊韓(伊族)で有る伊韓(唐)島の周辺と五島列島、壱岐・対馬を含んだ地域で発達し、縄文後期〜弥生時代に掛けての太平洋・インド洋を繋げた大航海と技術の伝承が有りました。

面白いのは、秦の始皇帝時代に中国沿岸に倭人(ワィ、 ヲヰ)と呼ばれる部族が海人族として存在した事です。
この倭人(ワィ、 ヲヰ)と呼ばれる人達は、戦が近くであると、船で沖へ出て、暫くは戻って来なかったそうです。また、この倭人(ワィ、 ヲヰ)は明らかに中国語とは違う異質な言葉を使っていたと記録されています。更に、体には独特な刺青をしていたとされます。

その中で、黒潮の流れ着く伊豆国の島々には、鬼が棲むと言われていたのですが、遠くから漂着したミクロネシア・インドネシア・インド系・東南アジア・中近東系の船乗り達でした。

黒潮ハイウェー、黒潮の流れ詳細図 重複しています(*^_^*)

熱海湾を望む

伊豆山岩戸山(松岳)の頂上から見た景色(想像図)カシミール3D使用
沖合から見た伊豆山、久志良山、日金山、富士山、熱海も参考に見て下さい。

改めて、小さな船を仕立てて、島伝いに、或いは、富士山を山立てとして本土へと近づいて来ると、阿多美(熱海)の湊へと導かれるのです。

海底に沈んでしまった湊跡を掲載してみました(海底や周囲の状況を調査)。

初島(内湾)の小湊、足代立岩の湊、多賀赤根の小湊、阿多美の大湊、阿岐戸の小湊、伊豆山小波戸湊、尻掛の小湊(湯河原)、道無の小湊(真鶴).

現在ある港と位置的に違っている事が判るだろうか!?

ここ熱海は、古代日本に於いての太平洋沿岸航路(九州〜北海道)の中継基地としての役割を担っていると思われます。

伊豆の語源も九州・沖縄等の多島海文化圏の中に有る様ですが、伊豆美(現在の鹿児島県出水市)や伊都国(福岡県糸島地域)、対馬の伊豆山と厳ヶ原(伊豆ヶ原)、壱岐+対馬で壱対(イツ)との関係を伺い知る事が出来ます。

しかし、古代史が未だ確立されていない部分も有り、今後の課題も山積です。

ここ熱海の海底に沈む大灯台を含めた多くの遺構と施設の海底遺跡は、相模湾岸に留まらず日本に於ける最大規模の港湾都市遺構には違い有りませんが、一部の認証のみで大半が認証もされずに埋もれている状態です。

最近注目しているのは神社跡横の石積モニュメントに埋め込まれ、表現された太陽と月ですが、正確に東西南北(正確には約6度の誤差あり)を現しており、伊豆山は走湯山の「走湯山縁起」の中で語られている日精(太陽)と月精(月)を指しているのではと思われます。

月を現す古代での国は壱岐と対馬であり、壱岐と対馬を合わせると壱岐+対馬→壱・対=いつ→伊豆と語彙変化しますが、対馬の対(つ)と壱岐の岐(き)で月(つき)となります。

霊・信仰ライン

また、対馬には航行に不可欠な山立て様の伊豆山と言う斎の山と一宮である海神(わだつみ)神社が有り、海岸沿いには厳原(伊豆ヶ原)と和多都美神社(海神神社と祭神が同じ)があります。

更に、壱岐には阿田彌(弥)[あたみ]神社が2ヶ所(元は3社と聞く)祀られており偶然とは言えません。

壱岐では阿田彌(弥)[あたみ]神社の周囲に草花のアザミが咲いていたのであたみと命名されたとしていますが、神社の古記録は殆ど皆無なのです。

又、亀甲卜占・甲骨卜占の関係に於いても壱岐・対馬・伊豆の関係深く、これに房総の安房や鹿島・香取を含めると更に判り易くなります。今、ようやく不思議な国「伊豆国」の謎が解けそうです。


要注意 異説・愚説として真剣に読まず、肩の力を抜いてお読み下さい!

1.伊豆国の成り立ちとその地域と範囲、文献記録.

  応神天皇が作らせた「枯野船」は竜骨船形の崑崙船でなかったか!?

2.伊豆国の主要な地名と地名由来(伝承等)

3.伊豆国の神社(延喜式内社と式外社の 官位比較)

4.伊豆国と大化改新(律令制度の波)

乙巳の変〜壬申の変までに伊豆国で何が起こったかの謎に記録や年表で迫る.

5.弥生古墳・遺跡分布等(縄文時代一部含む)

準備中 (*^_^*)

6.幻の阿多美湊(熱海)と足代(網代)湊への変遷【あだ→あだへ】

阿多美湊が海底に没し機能しなくなると、暫くして阿陀/阿多(あだ)足代/網代(あだ)として機能を始める!   足代(あた、あだ)/網代(あじろは当て字)→現在では網代(あじろ)と云います。

7.神階正一位 三島明神(現大社)と伊豆山神社(走湯山)

 延喜式内社は一社で三島明神式外社は二社で伊豆と走湯の二社.

7-1.神階一品きさき宮、当きさき宮 白浜神社と伊豆山の神の謎?

白浜神社は別称で久伊豆神社? 伊豆山神社は伊豆神社と走湯神社、伊豆御子社、伊豆熊野御子社、走り明神、走り井天神、八龍(八竜)神社他で呼ばれる!

久伊豆神社に手を合せると伊豆神社→富士山信仰が垣間見える!
久伊豆神社は武蔵小野氏所領の地! 武蔵地域に入植した朝鮮渡来族の謎?

武蔵小野氏小野小町の祖父である小野の篁(たかむら)を祖とする。

8.伊豆大権現と走湯大権現の秘めたる謎? (b)   伊豆山神社末社153社(現在)

対馬の伊豆山=厳山(斎山)、厳ヶ原=伊豆ヶ原、壱岐のあたみ阿多弥(彌)神社、そして福岡の伊豆神社って? 更に福岡には旧土地名 阿田(阿多田)が存在。

火龍伊豆山神社新宮  伊豆山神社神紋の九曜紋
       九曜紋をクリックすると曜紋を使った氏族が判ります。

8-1.伊豆山神社公式サイトへ 伊豆山神社全国末社分布図153社中86社掲載

伊豆山神社最新の催し物、出版物、祭祀の御案内 例大祭は毎年4月15日です。

8-2.伊豆国奇譚 伊豆山神社縁起(a) 正一位勲二等 伊豆国伊豆御宮伊豆大権現

伊豆神社、走湯神社、走井天神、走り明神(小野小町小町の母父の小野良実{道貞、良真}、そして祖父の小野の篁たかむらゆかりの守護明神)であった・・・!

9.阿多美は伊豆国国府?伊豆山は精奇城第二宗廟伊豆宮(久志良山)

第一の宗廟は伊勢神宮、では元伊勢と言われる地域は?
精奇城(さごくしろ)=久志良(山)=くしら・くちら・くじら・鯨・串羅・串良・久地(知)良/串・久志・・・に変化している(全国に分布)

下の写真の高峰は岩戸山(松岳)、その左側の稜線を久志良山と云う。(中の本宮より写す)

岩戸山(松岳)、正面左側が久志良山.

10.いず、いつの語彙変化関連→伊豆、伊津、壱対(いつ)、厳、斎、伊津毛、伊豆毛、厳毛、出雲で浮かび上がる言葉と地域と祭神?

霊・信仰ライン

伊豆山→対馬一宮海神[わだつみ]神社(山)、静岡県熱海市伊豆山(山と神社と地域)
神之宮」→熊野大社/出雲大社

賢木厳之御魂天疎向津媛命[つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと]→瀬織津姫
伊都之尾羽張(いつのおはばり)=天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)
八千戈(矛)命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈(矛)神是也 本文にて更に詳しく説明します。

11.古代には伊豆・箱根・富士山の火山(神火)信仰圏があった!?

富士山遠望

熱海の海底には神社址が有り、太陽と月を現すモニュメントが鎮座! 太陽と月信仰を彷彿させる!
伊豆と走井(湯)と富士山には月卜(占)いと、かぐや比売伝承が伝わっていた・・・!? (驚)
更に、浅間(あさま)=火山をせんげんと読む謎が今解明されようとしている。せんげん=千眼の意!

12.興味をそそる伊豆多賀神社と地域伝承 !

熱海市多賀神社の伝承を紐解く   黒いマレビト(メコン仙人たより 江口 久雄氏詳細訳)

厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。

異説・愚説伊豆国奇譚 國次(国次) 秀紀

 

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伊豆の国奇譚
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